
※月鵺惺蟇さまリクエスト「空中庭園にてお散歩の王様と執政ボロミア(以下略)」
※ボロミア生存ネタにつき要注意!
白い城壁は高くそびえ、整然と敷き詰められた石畳は緩やかに弧を描く。見張り塔の窓からは、大きな旗がゆらゆらと風にはためいている。あの戦争から幾年、並ぶ家々の壁は所々に傷痕を残すものの、街はすっかり活気を取り戻していた。通りを行く人々の声も明るい。
「……陛下」
ペンを走らせていた手を止める。
「どちらへ?」
ふうっと盛大に溜息を吐いて顔を上げれば、陛下と呼ばれた人物が、ビクリと肩を震わせた。
「あー……いや何、ちょっと休憩を…な?」
「却下」
「……即答だな」
「当然です」
幾度繰り返された会話だろう。もう思い出すのも馬鹿らしい程に、毎日毎日同じことを言っていると思うのは気の所為だろうか?
「既に決定済みの事項ばかり、形ばかりサインを入れるだけでしょう」
「入れるだけって……こぉぉんなにあるんだぞ!?」
山と積まれた書類を指差しながら、『こんな』をやたらと強調して言う相手は、これでもとうに80を越す歳である。あまつさえ子供のように口を尖らせて不平を漏らす姿からは、到底一国の主だとは想像もつかないことだろう。今は名を変え、エレスサール王となったアラゴルンは、ひとつところに留まって、書類と向き合うということが苦手らしかった。
「何が『こぉぉんなに!』なんです。毎日きちんとこなしていれば、そうはならなかったでしょう」
「……だって……」
「今まで貯めに貯めた貴方が悪い」
いい歳をして『だって』も良いところだ。敢えて冷たく言ってみる。と、アラゴルンはするすると近寄って来、こちらに向かい合うようにして机に手をつき訴えた。これも、いつものこと。
「このままじゃ仕事をする気分になれないんだ」
「つい先刻も同じことを言っ……」
最後までは言わせてくれなかった。そのまましゃがみ込んで、上目遣いに視線を寄越してくる。
「ボロミア」
ああそうだ。小首まで傾げられてしまえば、私が勝てた試しなど一度も無いのだ。
「ああ! 気持ち良い風だな!」
庭園を歩きながら、楽しそうにアラゴルンが言う。ここは、階層状に作られたゴンドールでも最上部に位置する。背後に立つ城と塔を除けば、視界を遮るものは無く、まるで空中に浮かぶ庭園のようだとも言える。ただ。
此処に、生き物は居ない。
環境が悪いというのではない。無論衛兵が定期的に追い払っているというのでもない。かつては木々に鳥が、草花に虫が、そして彼等を狙う小動物が、居た。これもあの戦いの傷跡…傷付いた草木が植え替えられ、花壇が整えられたところで、一度逃げ出したもの達が戻ってくるには至らない。住人達の居ない庭園…それは、何と寂しい光景だろう。
「!」
アラゴルンは何かを見つけたのか、急に立ち止まったかと思うと、一目散に駈けて行った。
「ボロミア、見てみろ。ヒタキの巣だ!」
庭園の中程、楡の木の枝上にそれはあった。植え替えられて、まだまだ成長中の、ようやく伸びたその枝に、小さな鳥の巣が。
「ここもまた賑やかになるな」
「覚えているか? 子供の頃、アンタが枯れたあの木に登ってしまって……」
「父上にはこっぴどく叱られたな」
「あのときのアンタはなかなかに見物だったぞ」
「また悪趣味なことを……」
そうか? と、王は笑い、おもむろに肩で留めた簡易式のマントを脱ぎ捨てた。
「? 何を……ぶはっ!?」
無造作に放り投げられたそれを顔で受け止めて、思わず素っ頓狂な声を出してしまう。ようやく逃れて顔を出せば、目の前に居た人は姿も無く……
「~~~~~!! 何やってるんだ!!!」
見上げた先に足があった。まだ太くはない楡の幹が揺れている。
「降りろ!」
慌てて叫ぶ。だが、当人は聞く耳を持たず、嬉々としてヒタキの巣を覗き込んでいる。その嬉しそうな表情は、今に鼻歌でも歌いだすのではないかとさえ見えた。
「これくらい、そう怒ることも無いだろう」
「貴方はもう野伏じゃない、一国の王なんだぞ!?」
「落ちたりしないから安心しろ」
ひらひらと手を振って言うアラゴルンに、気が付けば自分でも驚く程の大声で怒鳴りつけていた。
「そういう問題じゃないっっ!!」
「う……わ!?」
バランスを崩したアラゴルンは、それでも巣を壊してはいけないと、離れたところに手をついた。が、それがいけなかったらしい。こちらが「あ」と言う間もなく、地上へと落ちていた。
「……っ」
見たところこれといった外傷は無さそうだ。まぁ、いくつか擦り傷くらいは出来ただろうが。高くないとは言え、木から落ちてその程度で済んだのだから良しと思って頂こう。だが、問題は。
「……これまた盛大だな」
「誰の所為だと思ってる!」
落ちたときに掠めた枝が、髪に絡みついていた。御丁寧に数枚の葉っぱまで、まるで髪飾りのように引っ付いている。鳥の巣を見ていた当人が、自分の頭に巣を作ってしまったわけだ。そんな頭でしゃがみ込み、下から見上げてくる様子は、情けないと言うか何と言うか…覚えず、口元が緩んでしまう。それに気付いてアラゴルンは、むっとした表情を作って見せた。
「ボロミア、コレを解いてくれ」
言われて、手を伸ばした。とりあえずまずは葉を取って、折れた枝を外そうとしたのだが、これがなかなか上手くいかない。予想外にしっかりと髪に絡まってしまっていて、解こうとするそばからまた新たに絡もうとするのだ。私が元からそう器用な方ではないので、余計そうなってしまったのかもしれない。その間も、アラゴルンは大人しく身を任せていた。痛い、と時々口を挟んだが、それだけだ。
そうして、ふと、旅の最中を思い出した。
「随分と綺麗になったもんだな」
いきなりのことで、何を言われたのか判らなかったらしい。首だけ寄越してこちらを向いたその顔に、あからさまに何のことだと書いてある。
「貴方の髪のことだ」
「は?」
「旅の間の、あの汚さと言ったら無かったぞ」
考えてみれば、あの状況下において身奇麗にしていろという方が無理ではあった。だが当時の我が王は、そのレベルを超えていた、と言っても過言ではなかったろう。少なくともホビッツのからかいのネタになるくらいにはひどい有様だったのだから。
「アンタだって、同じようなものだろう」
「一緒にするな。水浴びくらいはしていたぞ」
「私だってしたさ」
「回数が違う、回数が」
「……」
「……」
ぷ、とどちらからともなく噴き出した。そうだ、まさか今になってこんな話をすることになるとは思いもしなかった。
「そら、取れたぞ」
「どうも」
青空を、小さな影が横切った。巣の住人が戻って来たらしい。
「さて、休憩は終わりだ」
言った私に溜息ひとつ吐いて、王はしぶしぶ立ち上がる。それは穏やかな午後、雲が緩く流れていった。
END